集中とは引き算だと思う

仕事柄、学生の子たちといかに集中力を持続させるかの話題になることが多い。子どもたちにとって集中力さえあれば、目の前の勉強に圧倒的な成果が出せるのにとみんなが考えているほどに集中力とは魔法のアイテムのように考えているし、それを引き出してくれと言わんばかりに相談される。ただぼくはドラえもんじゃないので、お腹のポッケから君たちを一瞬で救うようなひみつ道具を出すことはできないし、そもそも人は一瞬では変われない。あとぼくはあんなダミ声じゃない。(大山のぶ代世代だ)

それはモチベーションに関しても同様のことが言えるとようで。一日に一度は「やる気さえ出れば」と恨めしいような声で相談される。ごめん、ぼくはドラえもんじゃない。

ただ22世紀の猫型ロボットじゃないぼくが人間として曲がりなりにも25年生きてきた中で、実体験に基づく仮説のようなものは徐々に固まってきた。

それは人によって集中力のリソースが決まっているということ。そして何かに集中している状態とは、そのとき持ちうる集中力のリソースを対象へと一挙に投下することだ。

ぼくは集中力と聞いてスイッチのようなものをイメージしていた。なにかに集中する際にスイッチを切り替えるような。

ただその説明では納得いかない部分もあった。それは集中力が次第に切れていく部分であったり、作業を続けていくうちに集中力が徐々に増していく部分だったり。これはスイッチのイメージから程遠く感じた。

そこで考えたのが集中力とは、自分をバッテリーとした時のリソース(電力)配分のことだと。

バッテリーは出力(集中)がつづくと次第に力を失う。これは人の集中力に関しても同じで、集中力とはもちうるリソース以上には発揮できないし、充電(休憩)が必須だ。

また、同時に複数の出力先へと出力(集中)することは可能だがそのパフォーマンスは概ね低下するし、その持続時間も減少する。このリソース配分の面は個人差が大きい。同時に複数の出力をいとも簡単にする人もいれば、ぼくみたいなポンコツバッテリーは1つのことにしか出力できない仕様になっている。
ちなみにこのバッテリー、1日8時間は寝かせないと本来のパフォーマンスを発揮できない。中々わがままな仕様だ。

自分がどんなバッテリーなのかを把握すれば、自分にとって最高のパフォーマンスができる環境が分かってくる。ぼくの場合であれば至極単純だ。出力する対象をたった一つにする。声や音、人から視界まで外部環境で反応してしまうものまで全てを無くすことだ。

集中力をバッテリーと例えただけで、曖昧で根性論になりそうだった話が新たな見え方をし始めた。なかなかの収穫で満足している。

心の中のドラえもん(CV.大山のぶ代)が
「たまにはやるじゃん。」とじとっとした目で言ってきたので少し鼻高々だ。