見えないところで育つ

分からない問題に出会った時、解説してその場で納得しても、実際に再現できるまで身につくのはぼくの見えないところにすぎなくて、そんな風に見えないところで子供たちはよく育っているなと思う。

自分の役目をどの辺りに位置づけるかにするか、最近悩んでいる。
今まで目の前の子を少しでも多くの時間見たくてつきっきりで見ていた。ただそれは、
解くときのヒントのように機能してしまっていて、自分は子どもたちが自分の力で解けるためのことを全てできているのかと。むしろ子どもたちに頼られることをいいことに自分で考え抜く機会をうばっていないか。教えすぎていないかと。自らを省みている。

塾の講師(この言葉あまり好きじゃないけど便宜的に)という仕事は教えるばかりが仕事だと見られているけど、いかに教えすぎないか。自身で気づいてもらう余白を上手く残すかの、仕事だとも感じた。

その場でいかに問題が解けるかに固執していないかと反省している。もっと俯瞰して、子どもたちの人生という長いスパンで見たコーチングに力を割くべきではないかと感じている。

いかに自分がいなくても勉強を自分で進めるか。

会えない時間が愛を育てるし
見てない時間に子は育つし

そういうことを最近よく考えている。

ただ、いかに手を離していくか、子どもたちが自走していくかに際して、しっかり君のことを見ているよと伝えるのか。それもこれからの課題だ。