釣りは孤独を楽しむものなのかも

以前から無性に魚釣りをしたかった。
何にそこまで惹かれていたのか分からない。狩猟本能を満たしたかったのだろうか。ただ海釣りは人生で2回しかやったことがないので、狩猟本能を満たせるほど釣りの力量は持ち合わせていない。

とにかく一度やりたいと思ったら常に頭の隅のほうに釣りをしたい欲求が居座る。居ても立っても居られずようやく釣りを決行した。

一度釣りに行ったことのある舞鶴を今回の目的地にした。
初心者でそもそも竿さえ持っていないから舞鶴への道中釣りセットとエサ、折りたためるバケツを合わせて4,500円で購入した。

最初のポイントへと到着し、意気揚々と竿を準備し始める。リールから伸ばした糸をどう繋いだらいいのか覚えていなくて、しばし考える。何度か糸を絡ませながらようやく釣る準備ができた。

釣りといって真っ先にイメージする竿の振り方をしても、思い通りに遠くへと飛んでくれない。何を間違えたのか分からず何度かエサも無駄にしながら繰り返し竿を振る。

魚が見当たらないから少し場所を変える。
決して竿が上手く振れないことの気分転換じゃない。

新たなポイントで竿を振り始めて、ようやく遠くへ糸を飛ばす方法思い出す。そうなってくると俄然釣りらしくなる。まだ一匹も釣れないけれど。

周囲の慣れた釣り人たちが次々ヒットする中、ぼくはエサを詰めて、竿を振って、しゃくりながらリールを巻く作業を繰り返す。
ただ無心に。

釣果は一向に上がらないのにぼくはその時釣りを楽しんでいたように思う。
一連の動作を無心に繰り返しながら糸の感触に集中する。周囲にいた人の存在を忘れるほどに。

釣りのいろはは何も分からない。だけど釣りの楽しみ方をひとつ理解した気がする。