キャッチボールをしていて思い出す景色

この前芝生のきれいな公園へ出かけた。
久しぶりにキャッチボールをしたかったからだ。
綺麗に刈り揃えられた若草色の芝生で放物線を描く白球はコントラストが眩しくて、夏の暑さを残した9月を正当化するようだった。

小学生のころソフトをしていた姉のキャッチボールに付き合い始めて20年弱、(最初はボールが怖くて嫌々やっていたけれど)ぼくは未だにキャッチボールが好きだ。
厳密に言えばボールを投げているときの会話が好きだ。

意識がいくらかボールに向かうからなのか取り繕うことも少ないし、どこかその人の本心に迫れた気がする。
反対にぼくもかなり本心が出ているんじゃないかと思う。
だからぼくの中では裸の付き合いでしかできない会話があるように、キャッチボールでしかできない会話が存在すると思っている。

思えば幼稚園から仲の良い友人としきりにボールを投げ合っていた。
夕方近所のその子の家にグローブを持って行ってはよく1時間ほど投げ合った。
中学のころはクラスの気になる子について話し合ったり。
高校に入れば、将来のこととか、テストの結果がどうだったとか、どんなことをやりたいだとか。

だからキャッチボールをするときにはその情景が思い浮かぶ。
ボールを投げるとき、まだ将来について多くのことに悩んでいたその時期を思い出しながら今日も暴投している。