夢は無理に持たなくてとも

いつだって学生は将来の夢を語らせられる。
それは学校生活においてかもしれないし、周囲の大人との会話からかもしれない。

別に将来の夢が平穏に家族と暮らすことだって立派な夢だと思う。ただ日常生活で将来の夢といえば、何を生業として暮らしていくかであって生活のスタイルを聞いていることはそうない。特に子どもたちに対して。

子どもたちと日頃接していると極めて限定的な夢(職業)を持つべきだという圧力にさらされていることをまざまざと見せつけられる。
10数年の人生で将来就きたい職業に出会うことなんて極めて稀なことだ。ただ将来の夢を語る場が多すぎて夢を自ずと語れない人からすれば、自分はなにか間違えているのかと自身に対して疑心暗鬼になりかねない。

ただかつての自分の体験を振り返れば、そもそも夢として特定できるほど職業ややりたいことの選択肢をまったく知らなかった。
20歳を超えて数年かけて自分が得意なことであったり、人よりも少ない労力で成果を出せることに出会えた。
そして希望する生活スタイルも見えて来た。

実際にやってみないと分からないことはもちろん多いし、世界にいる蝶の種類くらいには日本には職業が存在している。ざっと1万7千だ。一生をかけて天職と呼べるものに出会えればそれはまさしく僥倖だろう。

だから天職をピンポイントで探すというよりも、何をしていて楽しいか、自分にとって人よりも少ない労力でできることはなにか、また生活していて嫌なことは何かをよく子どもたちに聞いている。
それで望む生活スタイルが見えればその夢を叶えるための道筋が見える。
たしかに将来のやりたい職業があることは尊いことかもしれないし、その夢に向かって行動を起こしやすい。けれど、それが生活スタイルであっても、そこから逆算して今なにをすべきかはわかる。そこにあるのは将来の夢に関する解像度の違いだけだ。

とにかく今自分はなにができるかまで落とし込めると、そして納得できればそれはもう立派な夢だと思う。