惰性で見てしまうもの

今ではYoutubeがそれにあたるのだと思うけれど。
幼いころはテレビが点いていたらつい夢中に見入って、お風呂に入るのが遅くなったりした。

大人になった今でも、気づけばやろうとしていた時間の多くがYoutubeを含め多くの映像コンテンツに費やしてしまったと思う。
もちろん映像コンテンツが悪というわけではない。むしろ節度を持たずに惰性で見続けた結果Youtubeを悪者にしてしまいそうなのが問題だ。

罪のないYoutube始め映像コンテンツを悪者にしないために、どうしてここまで惰性で映像を見てしまうのか考えてみる。

本は惰性で読み続けにくいのに、映像であればついつい惰性で見続けてしまう。
YouTubeと本は何が違うのか。
ここになにか大きな理由がありそうだ。

おそらくはコンテンツを楽しむ側がどこまで受動的か否かで変わって来るのだと思う。
読書であれば、自らの力で文章を読み進めなくてはいけない。これはもちろんのことだ。
幼児に対する読み聞かせではないのだから、待ってても一向に進まない。

一方で映像コンテンツはどうだろう。
スイッチを一度入れればそれこそ能動的に止めない限りは、常に映像は回り続ける。
紛れもなく受動的な行為だ。

更に言えばテキストベースの読書に比べ映像は情報量が多すぎるのも理由の一端だと思う。
圧倒的な情報量を浴びることで、さらに思考する余裕も失いかねない。(特にぼくの場合)

未だに映像コンテンツとの距離感は分からない。
心地よい距離感だと思ったら、すぐさまその距離でいられなくなる。もう少しこのままやきもきする日々が続きそう。